青春時代

 翌日、俺は純子へのプレゼントを
カバンに忍ばせ学校へと向かった。

こんなにも学校に行くのが楽しみな
日は今まで一度も無かった。

教室に入ると既に何人かの生徒がいて
朝の空気の中、小さな喧噪のうずを
作っていた。

俺の学校はマンモス校であったが
大都会の真ん中では無く回りは自然に
恵まれていた。

多分、このあたり一帯が新興住宅地と
なり沢山の団地や住宅が出来たの
だろう。

俺が幼い頃日本は「高度経済成長期」
と呼ばれ、物凄い勢いで日本は大きく
成長していった。

この頃の大人は、皆が裕福になれる
事を夢を見て働いていたと思う。

実際、俺の家でもカラーTVや洗濯機
電子ジャーに冷蔵庫など、家に
無かった家電類が次々と揃えられて
いった。

今の子供達は、昭和では洗濯物を
洗濯板で、たらいの中で洗っていた
話などしても信じないだろう。

ただこの頃の大人は皆、子供が
好きであったと思う。貧しかった筈
なのに子供は沢山いた。

振り返ると俺の親などは、子供を
生み育てる事が、人生に於いて
自分の使命に感じていたようにも
思える。

しかし、今の時代はどうだろう?

豊か?になった筈なのに少子化?
理解に苦しむ。

更には日本は観光で来れる
「安い国」に成り下がってしまった。

日本に行けば回転ずしが未だに
100円で食えると。

インバウンド需要などと横文字で
誤魔化しているが、何の事は無い

それは俺達がその昔、東南アジアが
安いから遊びに行く逆バージョンに
なっているだけの事だと思うのだが。

沢山の中国人が大量にやって来て
爆買してる姿に、これで日本経済の
プラスになるだろう的嬉しさは俺には
正直無い。

40年近く前、俺が中国に行った
時など、大勢が人民服を来て自転車
に跨っていたからだ。

貧しい国であったように思える。

その時に、俺の持っていた
ウォークマンを皆が珍しそうに
ジロジロ見ていたものだ。

それがいつの間にか逆転されて
しまった。


授業が始まる少し前、純子も
登校し教室に入ってきた。

俺は休み時間に彼女にプレゼントを
渡して喜んで貰いたい
そんな気持ちで頭がいっぱいだった。

そしてついにその時間が来た。

何時ものように売店に行ってもらう
タイミングで彼女に近づき

「これ・・・。」

そう言って小さな紙袋を渡した。

「え?」

彼女は少し驚いた顔。

「何?」

そう聞いてきたのだが

「使って。」

その言葉がやっとで、彼女にプレゼント
を手渡し、俺はそれ以上何も言えず
席に戻ってしまった。

そしてその後、自分の大きなミスに
気づき、俺は奈落の底に落とされる
事になる。

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