青春時代

ひとみとのデートの前日、俺は何を
着ていくか考えた。

いや、考えても自分の衣装なんてのは
たかが知れていたのだが。

服なんて買う必要も無かったし、今の
時代のように簡単に服を買えるような
環境で無かった。

俺の家の回りに洒落た服屋なんてのも
無かったからだ。

俺の家は貧乏であった。なので小遣い
なんてのはほとんど無かった。

ただ、親戚は何故か裕福だったので
年に1度貰えるお年玉が結構な金額
だった。

そう言った意味で、金は使わず貯めて
おこう、本能的にそう思っていた。

俺は思春期の頃からこの事、俺の家と
親戚の家があまりにも違う事が不思議
でならなかった。

何かと言うと、俺の家は貧乏なのに
何故、親戚一同は金持ちなのかがだ。

今の言葉で言うと格差社会ならぬ
親族格差とでもいおうか・・・。

親戚のおじさん達は医者であったり
社長であったり、一流企業に勤めて
いたりして、皆大きな家に住んでいて
裕福であった。

俺の家以外、皆車も所持していた。
当時車は高級品であった。

後にこの理不尽な格差こそが、日本の
民主主義・経済自由主義の構造だと
知る事になる。

金儲けの能力がある人間は富・その
能力が無い人間は最低限の生活で
我慢する事を強いられる。

それは本人の能力・努力の結果だと
成功した人間は勝ち誇ったように
そんな言葉で切り捨てる。

そして底辺で暮らす人達はそんな
言葉に強制的に納得を求められる。

それが資本主義の醜い側面だ。

日本で暮らしたければそれに従う
しか無い。

そんな事がその後、大人になるに
つれ分ってきた。

逃れる事の出来ない辛い現実である。

強者と弱者。まるで野生動物の
サバイバル戦に似たものを感じる。

俺は親戚から貰ったお年玉を貯めて
いた。特に使う必要も無かったからだ。

いや、本能的にお金は貯めておか
なければならない。そう思ったのかも。

俺の中学の頃の趣味はサイクリング
だった。

サイクリングに行くのに金なんて
必要無い。自転車さえあれば良かった
からだ。

中学の入学祝いに買ってもらえた
サイクリング自転車が俺の友達だった。

実は俺は1人の時間が好きだ。

仲間と騒ぐのも好きだが、基本
1人で自分の時間を楽しむのが好きだ。

なので本来、根暗なのかも知れない。

買ってもらえた自転車は5段変速で
後ろの座席に車のような
ウィンカーが付いていた。

当時物凄い人気の自転車だ。

そう思うと俺の親は、その時
かなり無理をして俺を喜ばそう
としてくれたんだな。

今更ながら思う。

もっと早くその事に気づくべきで
あった。

俺が今、女を喜ばせる為に無理して
でも金を都合付けるように
同じような事を自分の子供にする。

それが親の愛情だという事を当時
バカな俺は全然気づいていなかった。

俺は大人になり見返りの無い送金を
愛するレディ達に何度もしたが

親も子に見返りの無い愛を沢山
降り注いでくれていたのだと

今更ながらそう思う。

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