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覚醒タイランド
帰国してから何度かメールしたが
ポーからの返事は無かった。
俺が中だしした事で完全に怒って
しまった。
そんな時、しばらくするとタイで
大事件が勃発する。
それは大規模反政府デモだ。
このデモは空港を占拠したり、爆弾
テロ騒ぎにまで発展し、軍までが出動
もはや内戦の様相を帯びてきた。
タニヤ近くの銀行前でも爆弾が仕掛け
られ爆発していた。なんとも恐ろしい。
当然繁華街なども営業停止だ。
タニヤ通りから灯りが消えた。
夜は危険なのと、まずそんな状態では
客も来ない。シーロムやスリウォン
通りにもバリケードが張られた。
確か夜は出歩いては行けない戒厳令
まで発令されたと思う。
ニュースを観ながら大変な事になって
いると思った。
するとある日ポーから突然メールがきた。
ずっと無視されていたので心配していた。
ただ、それは送金のヘルプ依頼であった。
「M、タスケテ。」
そんな出だしであった。
タニヤが閉鎖されたら、そこで働く
夜嬢は皆干上がってしまうだろう。
コロナ感染拡大の前のバンコクでは
この内戦のような大規模デモで夜嬢達
が苦しんだ。本当に気の毒だ。
貯蓄という概念が無い彼女達は
ほとんどその日暮らしだ。
当然ポーもお金が底をつき、あれだけ
俺を無視していたくせに助けを求めて
きた。
しかし、俺は彼女に惚れていたので
助けてあげる事にした。彼女との喧嘩
は俺にも非があると思っていたからだ。
当時今のように便利なワイズなどの送金
手段が無かったので、俺は郵便局から送金
した。
めんどくさいのと手数料も高かった。
とりあえず1万バーツ送ってやった。
しばらくすると、また要求が来た。
俺はまた送金してやった。
3回程そんな事を繰り返していると
その後突然連絡が途絶えてしまった。
何度連絡しても返事が来ない。
凄く心配したが、俺はタイに行く事が
出来ない。
デモが長期化していたからだ。
ようやくデモが鎮静化し、渡航可能に
なる。
ポーの身が心配であった俺は直ぐに
タイに行った。
その日ポーの店に勇んで行くと
彼女の友達ヌンがいた。
久々にヌンに会えて嬉しかった。
彼女も喜んでくれた。
ヌンを席に呼びポーはどうしたのか?
そう聞くと、驚きの答えが返ってきた。
それはポーがあちらこちらに借金をし
返せなくなり何処かへ逃げてしまった
と言う返事だった。
ヌンまでもが貸し倒れをくらった
そうだ。あれだけ仲の良い友達同士
だったのに。
ヌンは姉と暮らしていて姉の助けで
生活が出来ていたようであった。
ポーは更に、店のママさんにも迷惑を
掛け逃げたようであった。
それではもうタニヤには戻れ無い筈で
ある。
多分闇金にも借りた筈だ。
日本に闇金があるように、当然タイの
それもタニヤにも闇金は暗躍している。
これはパタヤにもだ。
俺の友人の彼女は闇金に手を出し
追い込まれ、やはり逃げた。
支払いが遅れると携帯を担保に没収
される。なので当の本人に連絡出来
なくなる。
俺はショックだった。
俺の送金は焼け石に水であった。
多分電話に催促がヤイヤイかかってくる
ので、SIMを入れ替えたのかも知れない。
あるいはSIMをチャージする金さえ
無くなったのかも知れなかった。
もしくは闇金がポーの電話を取り上げ
たかだ。
その話を聞いた後、もうヌンとの会話は
覚えていない。
1時間で店を出た。
何時もならポーと過ごすバンコクの夜。
楽しい筈のバンコクの夜なのに・・・。
俺の心にはポッカリと大きな穴が
開いてしまった。
バンコクに来ているのに虚しさだけが
俺の開いた心の穴に渦巻いた。
俺はタニヤを後にし、ホテルに戻り
1人部屋でウィスキーをあおった。
この時の訪タイはその後、遊んだ
記憶は全く無い。
ただ、ホテルのベッドで寝転び
消えたポーとの楽しかった日々を
思い返していただけだった。
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