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青春時代
いよいよ高校3年も終わりに近づいて
きた、俺の脱皮3度目の季節だ。
世の中に「変態」という言葉がある。
これはよく異常な性癖を表す言葉
として使われているが、元々は
生物学的に使われる言葉である。
※変態とは、動物の生育過程に
おいて形態を変えることを表す。
典型的なものは節足動物の
昆虫類や甲殻類などに見られる。
このように生まれた時の形から
成長する都度その形を変え変化して
いく動物の成長過程の言葉である。
代表的なものが「蝶」であろう。
俺は子供頃、この蝶の幼虫を飼って
いた事がある。
芋虫のような姿から見事な蝶に
変わる姿は圧巻であった。
俺達人間もある意味この変態に
準じているのではなかろうか?
俺は小学校を卒業し、中学を卒業し
そして高校を卒業し、大学を卒業し
その都度自分が大きく変化していった。
子供の頃と大学を卒業した俺とは
全く同じ人間とは思えないほど
変わった。
その姿はまさに変態である。
人と会う事に臆病だった俺が、女を
口説く事に喜びを覚え、人脈を通じ
社会的に成長していった。
そしてその大きく変わる成長過程に
高校卒業があった。
早い者は高校を卒業すると就職し
社会に出る。
俺の高校は進学校であったので大半
が大学へ進学した。
ただ、俺は大学へ行って感じたのは
進学した大学が、自分のイメージとは
全く違った事だ。
それは大学は社会に出る為に戦力と
なり得る高度な知識を教えてくれる
場だと思っていた。
誤解のないように言っておくが
当然そのような素晴らしい大学も
ある。
ただ、俺の行った外大は肩透かし
であった。
高校のように起立・礼をして生徒を
管理する古い頭の教授や、文法ばかり
教え込む教授。
英語の小説や詩を延々と翻訳させる
教授など。
俺は海外に憧れていて、英語を話せる
ようになりたいが為に外大に行った
にも関わらず、相変わらず旧日本式
英語教育に直ぐに落胆させられた。
英語の話せない教授が外大の教授
だなんて笑えないジョークもいい
ところだ。
英語を教える先生や教授はまずは
自分で話せる事を必須にすべきだ。
その1番肝心な事が棚上げされて
いたのが日本の英語教育だ。
だから日本は英語教育が幼稚な
ままきてしまった。
日本人=英語が話せない。
フィリピーナ達もこんなイメージを
持っている。
中・高・大と10年以上英語を勉強
しても英会話が出来ない。
しかし、フィリピーナなどは来日し
6カ月もすれば立派に日本語が
話せている。
日本の英語教育抜本的に変えてくれ。
ひどい教授などはリスニングの勉強
だと言って90分永遠とテープを
聞かせていた。
英語は自分で話してこそ覚えられる
のに、永遠と聞かされるテープは
苦痛以外何物でも無かった。
同じクラスの中には、馬鹿らしくなり
学校を休学し、留学した奴もいたが
俺の家はそんな裕福でなかったので
無理であった。
ただ、今なら学校を止めて海外を
放浪して回るのも良かったかも
知れないと思う。
猿岩石のように・・・。
そうすれば俺の人生はまた変わって
いたと思える。
もし今の俺が英語・タイ語・タカログ語
この3か国語を話せていたら、俺は
日本にいなかったと思える。
外大では英語・フランス語・ラテン語
ギリシャ語の授業が必修科目であったが
何の事は無い、卒業しても英語が少し
ばかり話せるだけであった。
これを読まれるとそれは本人の努力が
足らなかったのだろう。そう思われる
かも知れないが俺の大学の同じ学科の
卒業生は皆俺と同じレベルだった。
やはり教育環境が大切だと思う。
人間が子供から大人へ変化するこの
変態時期に、何処にいたかはその後の
人生に大きな影響を与える。
ただ、それが分かるのは悲しいかな
自分がある程度社会で揉まれ、時間
の余裕が出来、自分を振り返る事が
出来るようになってからだ。
その時はどうあがいても、もう後戻り
出来ない。
人生に於いて、その都度の選択が
間違っていたか否かは、悲しいかな
物凄く年齢を重ねてからようやく
分かるものだ。
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青春時代
いよいよ高校3年も終わりに近づいて
きた、俺の脱皮3度目の季節だ。
世の中に「変態」という言葉がある。
これはよく異常な性癖を表す言葉
として使われているが、元々は
生物学的に使われる言葉である。
※変態とは、動物の生育過程に
おいて形態を変えることを表す。
典型的なものは節足動物の
昆虫類や甲殻類などに見られる。
このように生まれた時の形から
成長する都度その形を変え変化して
いく動物の成長過程の言葉である。
代表的なものが「蝶」であろう。
俺は子供頃、この蝶の幼虫を飼って
いた事がある。
芋虫のような姿から見事な蝶に
変わる姿は圧巻であった。
俺達人間もある意味この変態に
準じているのではなかろうか?
俺は小学校を卒業し、中学を卒業し
そして高校を卒業し、大学を卒業し
その都度自分が大きく変化していった。
子供の頃と大学を卒業した俺とは
全く同じ人間とは思えないほど
変わった。
その姿はまさに変態である。
人と会う事に臆病だった俺が、女を
口説く事に喜びを覚え、人脈を通じ
社会的に成長していった。
そしてその大きく変わる成長過程に
高校卒業があった。
早い者は高校を卒業すると就職し
社会に出る。
俺の高校は進学校であったので大半
が大学へ進学した。
ただ、俺は大学へ行って感じたのは
進学した大学が、自分のイメージとは
全く違った事だ。
それは大学は社会に出る為に戦力と
なり得る高度な知識を教えてくれる
場だと思っていた。
誤解のないように言っておくが
当然そのような素晴らしい大学も
ある。
ただ、俺の行った外大は肩透かし
であった。
高校のように起立・礼をして生徒を
管理する古い頭の教授や、文法ばかり
教え込む教授。
英語の小説や詩を延々と翻訳させる
教授など。
俺は海外に憧れていて、英語を話せる
ようになりたいが為に外大に行った
にも関わらず、相変わらず旧日本式
英語教育に直ぐに落胆させられた。
英語の話せない教授が外大の教授
だなんて笑えないジョークもいい
ところだ。
英語を教える先生や教授はまずは
自分で話せる事を必須にすべきだ。
その1番肝心な事が棚上げされて
いたのが日本の英語教育だ。
だから日本は英語教育が幼稚な
ままきてしまった。
日本人=英語が話せない。
フィリピーナ達もこんなイメージを
持っている。
中・高・大と10年以上英語を勉強
しても英会話が出来ない。
しかし、フィリピーナなどは来日し
6カ月もすれば立派に日本語が
話せている。
日本の英語教育抜本的に変えてくれ。
ひどい教授などはリスニングの勉強
だと言って90分永遠とテープを
聞かせていた。
英語は自分で話してこそ覚えられる
のに、永遠と聞かされるテープは
苦痛以外何物でも無かった。
同じクラスの中には、馬鹿らしくなり
学校を休学し、留学した奴もいたが
俺の家はそんな裕福でなかったので
無理であった。
ただ、今なら学校を止めて海外を
放浪して回るのも良かったかも
知れないと思う。
猿岩石のように・・・。
そうすれば俺の人生はまた変わって
いたと思える。
もし今の俺が英語・タイ語・タカログ語
この3か国語を話せていたら、俺は
日本にいなかったと思える。
外大では英語・フランス語・ラテン語
ギリシャ語の授業が必修科目であったが
何の事は無い、卒業しても英語が少し
ばかり話せるだけであった。
これを読まれるとそれは本人の努力が
足らなかったのだろう。そう思われる
かも知れないが俺の大学の同じ学科の
卒業生は皆俺と同じレベルだった。
やはり教育環境が大切だと思う。
人間が子供から大人へ変化するこの
変態時期に、何処にいたかはその後の
人生に大きな影響を与える。
ただ、それが分かるのは悲しいかな
自分がある程度社会で揉まれ、時間
の余裕が出来、自分を振り返る事が
出来るようになってからだ。
その時はどうあがいても、もう後戻り
出来ない。
人生に於いて、その都度の選択が
間違っていたか否かは、悲しいかな
物凄く年齢を重ねてからようやく
分かるものだ。
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